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レア・ストーリーズ【ポンペ病の患者さんの声】 マイクさん(54歳) アメリカ

マイクさんの写真

自らの困難を乗り越え、同じ病気の人々を勇気づける活動へと昇華させたマイクさんご自身の経験を活かしてポンペ病の認知度を高める活動に取り組んでいます

2007年3月、激しい呼吸困難に襲われたマイクは、緊急処置室へと担ぎ込まれました。「何か薬でもくれれば数時間後には帰宅できると思っていましたよ」ところが意に反して入院させられたマイクは、二度と帰宅することはできないかもしれないと告げられたのです。
この運命の夜まで、マイクは9年間にわたり多発性筋炎と誤診されてきました。多発性筋炎とは、痛みを伴い筋肉が脆弱化して筋肉量が減少する筋肉の炎症によって起こる病気です。それが、2007年に行われた3回目の筋生検の結果、初めてポンぺ病と診断されるに至ったのです。

およそ10年間、治療が行われず、呼吸に必要なマイクの横隔膜の骨格筋は弱くなっていました。生き延びるためには気管を切開し、人工呼吸器を付けて集中治療を受けなければなりませんでした。4年後、息子のブライアンが8歳の誕生日を迎えようとする時もマイクはまだ入院中でした。
「4歳から8歳ですから、失われたものは大きいですよ。いつまでもここにいるわけにはいかない、家に帰って息子に会わなければとずっと考えていました」
息子に会うために退院したいという願望に加え、脊髄損傷患者の横隔膜を刺激して自発呼吸を可能とする医療機器があると友人から聞かされたことがマイクを勇気づけました。
「ポンペ病は筋ジストロフィーの一種であり、横隔膜は筋肉です。僕のは自力で動かないわけだから、その医療機器があれば人工呼吸器を外して帰宅できるようになるかもしれないと思ったんですよ」
このアイデアがひらめくと、あらゆる手段を尽くして実現を目指しました。2011年8月、彼はポンペ病患者としては世界で初めて、横隔膜ペースメーカーを取り付けた人物となりました。この装置は全ての患者に適用できるとは限りませんが、彼の場合は入院後4年以上を経た後に、ようやく再び自発呼吸ができるようになり、妻のデビーや息子のブライアンが待つ家庭へ帰ることが叶いました。

マイクは今や、ポンペ病患者間では先駆者として知られており、苦境を乗り越える強さに加え、新たな試みを成功させた功績を称えられています。希望を捨てた方が楽だったとも思える年月を振り返って、マイクは力説します。「人生では何と言っても神と家族が最も大切だと実感しましたよ」
「やっぱり息子がいたから…ブライアンが生まれていたからかもしれません。病気になった時に、自分を元気づけるために彼が必要でした。家に帰りたいと思わせてくれたのは彼ですよ。さもなければ、回復する力が得られていたとは思えません」

困難を乗り越え、同じ病気の人々を勇気づける活動へと昇華させたマイク。自らの経験を活かしてポンペ病に対する一般市民の意識を高める活動に取り組んでいます。ポンペ病や他のライソゾーム病を対象とする新生児へのスクリーニング検査の普及を切に願い、自立した生活を取り戻すための努力を続けています。
「闘いは終わりません。私は帰宅するという目標を達成しましたが、ここで立ち止まるつもりはありません。また歩けるようになる、運転できるようになる、仕事に復帰するとか、目標は他にもたくさんあります」

2012年10月18日、マイクとデビーは、家族の新たな記念日となった「マイクが帰宅した日」を祝いました。

※記載の年齢はすべて取材時のものです。
レア ストーリーズは、Amicus Therapeutics, Inc.が作成したRare Storiesを翻訳したものです。
https://www.amicusrx.com/advocacy/rare-stories/

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2020年12月作成